844〜       (平安時代)       温井(貫井)地域に惟喬親王を祖とする木地師の集団が住み着く
859           〃          坊村に葛川寺(明王院)が相応和尚により創建される
                          坊村に
地主神社が創建される

1218        (鎌倉時代)      伊香立庄住民が葛川寺南より花折谷の間は同庄民の管轄であると
                           主張し訴訟を起こす(境界紛争)
1256           〃         葛川の住人が朽木庄内に押し入り住宅4戸を破壊したことを
                           朽木の庄民が訴える
1294           〃         木戸庄との間に境界紛争が起こる
1308〜          〃
       比良庄との間に境界紛争が起こる
1317           〃         この頃明王院は仏閣、社壇、政所、庵室など堂舎が19ヶ所に及び
                           霊場として繁栄する
1318           〃         葛川庄の領主、青蓮院末無動寺が葛川の浪人八家の定住を初めて
                           正式に認める
1320           〃         葛川庄と伊香立庄の間で領境についての和議が成立

1334         (南北朝)      坊村の葛川寺はこの頃より息障明王院を正式寺号とする
1352           〃         この頃、葛川と木戸、比良庄との間に境界紛争が起こる
1364           〃         久多庄との間に境界紛争が起こる

1395         (室町時代)     将軍足利義満が葛川領の四至を安堵する
1405            〃        足利義満が明王院に参籠する
1471            〃        坊村町の地主神社が再建される
1481            〃        将軍足利義尚とその母、日野富子が明王院に参籠する
1507            〃        六角高瀬が明王院に参籠する
1529            〃        葛川の農民が徳政を要求し、御料林の木材を伐採する
1558            〃        貫井の長久寺が創建される

1583        (安土桃山)      葛川では豊臣秀吉の直轄地(台所人)として120石分が指定される
1584            〃        元亀2年(1571)の織田信長による比叡山焼き討ち後絶えていた
                           葛川参籠が復活する
1595            〃        豊臣秀吉は坊村73石を延暦寺に寄付する
1597            〃        木戸口町の地蔵院が創建される

1601       (江戸時代)       延暦寺は徳川家康より坊村ほか2村、他と併せ計5千石を安堵される
1656            〃        中村町の常明院が創建される
1662            〃        5月、高島町を震源地としたM7.6の大地震が発生し、榎村(現梅の木)町居村
                           坊村に惨憺たる大被害をもたらした(貝原益軒、湖国巡の記より)
1678            〃        町居村の観音寺が大地震で生き残った百姓10人によって建立される
 〃              〃        8月、細川町の八幡神社が京都の石清水八幡宮より観請される
1698            〃        堀田正高が下野国より滋賀、高島両郡のうちに移封され坂下、木戸口両村
                           もその所領内となる
1717            〃        坊村の明王院が中御門天皇により改築される
1724            〃        坊村の法円寺が創建される
1738            〃        坂下町の桂昌寺が鏡山定淵和尚により開かれる
1814            〃        葛川の特産品としてまな板、横槌、唐臼の竿木などが記されている
                           「近江国大絵図」 「近江各所図絵」など



1873        (明治)6        木戸口の地蔵院に弘文学校、梅ノ木に梅
巷学校、細川に蓬莱学校ができる
1873          〃 8        弘文学校が葛川学校になる
1889          〃 22       当時、細川、貫井、梅ノ木、町居、坊村、中村、木戸口、坂下の八村に分かれて
                           いたのが八村が合併して葛川村になる
1902          〃 35       葛川北尋常小学校が焼失し翌36年に尋常小学校が新しくできる
1907          〃 40       南尋常小学校と北尋常小学校を併せて葛川尋常小学校となり平、坂下、貫井に
                           分教場を置く
1913        (大正)2        貫井分校が焼失する
1922          〃 11       忠魂碑ができる
1923          〃 12       中村に発電所が出来て葛川に初めて電灯がつく
1929        (昭和)4        葛川に郵便局が出来る
1931          〃 6        貫井で山崩れがおこる
1933          〃 8        貫井分校が焼失する
1935          〃 10       水害がおこる、坊村に駐在所が出来る
1937          〃 12       細川で大火事がおこる、水害で貫井分校が流れる
1938          〃 13       水害で小学校の北校舎と貫井分校が流れる
                           中村にコンクリートの橋が出来る
1939          〃 14       葛川に電話が開通する
1947          〃 22       葛川村立葛川中学校開校(小学校と同じ場所に)
1948          〃 23       学校組合立滋賀中央中学校葛川校舎と改称
1950          〃 25       葛川中学校、葛川校舎完成
1953          〃 28       台風のため中村橋を除いて全部の橋が流失
1954          〃 29       雨や台風のために道路が決壊し橋の流失
1955          〃 30       堅田町と葛川村が合併する
                           細川〜途中間で町営バス運行
1956          〃 31       町村合併により堅田町立堅田中学校葛川分校となる
1957          〃 32       木戸口に簡易水道が出来る
1959          〃 34       伊勢湾台風のために道路が決壊し多数の被害がでる
                           中村、坊村に簡易水道が出来る
1960          〃 35       江若バス(堅田〜細川)開通
1963          〃 38       葛川支所が出来る、米軍食糧支援の脱脂粉乳ミルク給食が葛川でも始まる
1967          〃 42       堅田町と大津市が合併する
1968          〃 43       学校完全給食開始、台風33号により道路決壊
                           豪雪で体育館が倒壊する
1969          〃 44       坊村に診療所が出来る
1973          〃 48       駐在所が中村に移転する
1974          〃 49       中学校新校舎起工、教員宿舎が完成 台風20号の被害があり冬には豪雪
1975          〃 50       花折トンネルが開通、県道が国道367号線になる 豪雪
                           中学校の校舎が完成し独立した葛川中学校になる
1977          〃 52       プールが完成  スクールバスでの通学を開始
1982          〃 57       葛川市民センターが完成

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